とかく今の仕事が嫌である。というのは前回も書いたところです。
苦手な上司から事あるごとに「主体性が無い、主体性を持て」という注意を受けますが、それがどういうことを意味するのかを自分の中で考えてみます。
ちなみに注意を受けること自体は別にいいのですが、注意の内容に納得感が無かった場合「そう言われても改善する気が起きない」モードに入ります。今回のテーマはまさに私にとってそのモードに入るトリガーワードのようなものです。
「主体性」という言葉の意味
そもそもの言葉の意味は「自分の判断で行動し責任を負うこと」ですが、まだあいまいですね。
この意味でいえば、会社という組織で上に立つ人たちは皆が自分の判断で行動し責任を負っている、はずですね。言われてみれば確かにそうかもしれません。
となれば「会社で上に立つ=主体性がある」といってもよいように思えます。
確かにこの言葉をよく見る場面として思い浮かぶのは求人情報に記載されている募集要項、求める人間像 あたりでしょうか。やれ「主体的に…」「自分で考えて…」「周囲を巻き込んで…」とかなんとか。
大半の企業がこういうことを募集要項に書いているのを眺めると 主体的でなければ市場価値が無い かのような風潮ですね。
しかし実際に今の20代はあまり昇進を望まない、といったニュースが出るくらいです。生活のために会社には入りたいが上に立ちたくない=別に主体性はなくてもいい という思考回路なのかもしれません。
「主体性が無い」が意味するものは?
「主体性がある」人を求めている、ということは当然「主体性が無い」人がいる、ということになります。
「主体性がある人」を求めている人たちは、どういう人たちのことを「主体性が無い」と思っているのかを考えてみます。
検索するとたくさんありますね。
要約すると
・責任をとりたがらない
・マイナス思考
・周りの評価を気にする
こんなところでしょうか。
ここでいう「責任」は「当事者意識」と置き換えてもよいかもしれません。自分事として捉えるかどうか。
つまり「責任をとりたがらない」→「当事者意識が無い」→「誰かほかの人がやってくれると思っている」→「自分は他のことがしたい」と繋げていくと、少し見えてきますね。
結局のところ 自分は何がしたいのか? という意志の話に繋がるのだと思います。
だから意志が明確になっていない、あるいは明確だけどやれていない 状態が引いては責任をとりたがらない気持ちに繋がるのでしょう。
考え方を変えてみる
ここまで主体性がある=仕事をするうえで必要な資質 という建前を持って書いてきましたが、ここでひとつ考え方を変える言葉を見つけたのでご紹介します。
「主体性が無い」ではなく「協調性がある」
別に主体性を求めなくても良いですよ、という考え方ですね。
これもまた大事ですね、無理に変わらなくていいよ、と言われている気がして励みになります。
まとめ
別に主体性が無くてもできる仕事はあると思います。
そういう仕事は将来AIに取って代わられる、という人もいますが、私はいまを生き抜くことに必死なので、将来を心配していると逆に進めなくなるタイプです。気にしません。何とでもなります。
ちなみに主体性が無い原因として「楽をしたいから」「プライドが高いから」「その場しのぎや逃げに慣れている」などと書いているものも拝見しましたが、別にそれでいいじゃない、と思います。図星ということも否定しません。
逃げ≠悪、楽≠悪 です。楽をしたいからモノ、サービスが発展しているのです。
あとは、人を評価するにあたって 減点方式はあまりいいことが無いですね。
コメント